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  • フリッカーズ 国際映画祭2023 ノミネート
  • サンフランシスコ国際短編映画祭2022 グランプリ
  • ザグレブ国際アニメーション映画祭 ワールドパノラマ公式セレクション
  • バクナワ・フェスティバル 2022 オープニングフィルム
  • 福岡インディペンデント映画祭 優秀作品
  • 第76回毎日映画コンクール ノミネート
  • イメージフォーラム・フィスティバル2021 ノミネート
  • ぴあフィルムフィスティバル2021 ノミネート
  • 第21回ニッポン・コネクション 日本映画祭 招待上映
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Introduction

“Parallax ”(パララックス・視差)
「二地点での観測地点の位置の違いにより、対象点が見える方向が異なること」(wikipediaより)

それは右目と左目のあいだに、人と人のあいだに存在する。
同じ現実がそこには存在していても、それぞれの背景によって異なる景色が広がる。
その景色はお互いが干渉し合わない限り、ずっと平行線をたどってしまう。
右目と左目の視差の現象のように、片方の視点では立体感や距離感が損なわれてしまうように現実の人と人、社会と人の間にも歪んだ価値観が存在してしまう。
その価値観はときに大きな流れとなり形成されることによって、例えば無謬主義のもと、曖昧模糊な状況を生み出しては、本質をものみ込んでいくのではないだろうか。
理解し得ないことを、理解するといった言葉では消化しきれない現状で、視差の存在そのものに目を向けて掘り下げていく、または自分の無意識下で同化させていくことが唯一の方法なのかもしれない。
隣人との視差に気づき、遠い人との視差に気づき、昨日と今日の自分の視差に気づき、少しずつ、その何かを受け入れたい。

Comment

野辺さんの描く線が好きだ。100%野辺さんの美学の結晶のようで、その純度の高さにはいつも嫉妬するのです。
石川慶
映画監督「愚行録」「蜜蜂と遠雷」「Arc アーク」「ある男」
世に『自我の喪失』が警鐘され始めたのは、かれこれもう半世紀以上も前のこと。以来『現代』はその問題を放置したまま、いまだに『現代』を続けている…
野辺ハヤト氏はそれを『視差・parallax』という独自のユーモアで表現してくれた。
表現方法もグラフィックスもキャラクターも音楽もリズムもストーリーも、ユーモラスであり、ポップであり、美しく整理され…そして次第にその緊張と恐ろしさについ惹き込まれてしまう。
『感覚的』である以上に『感触的』な野辺ハヤト氏独自の世界…不思議な余韻に是非触れて欲しい…
川崎クニハル
映像演出家・脚本家・ライター「双葉荘の友人」(原作名「双葉荘」)
野辺さんは「エンターテイメントとアートの中間地点で作りたい」と言う。 しかし、私は「超個人と俗の中間地点」だと勝手に解釈した。目の離れた私たちの(野辺さんの)分身の様な親子?がなぜエレベータ(の様な扉)から、他者の溢れる世界に登場しなければならなかったのか。それは、そこが「超個人と俗の中間地点」だからじゃないだろうか。そんな超個人が他者の存在する中間地点で何を思うのか、と思いを馳せるのがこの作品の魅力ではないだろうか。しかし、思いを馳せても馳せても、ゴールはない。 目の離れた私たちの(野辺さんの)分身の様な目の離れたキャラクターのアップを見た時に、私たちはそのキャラクターとしっかり見つめ合うことができない。目が離れすぎて、右目を見た時には左目が視界に入らず、左目を見た時には右目が視界に入らない。ひょっとしたら、正面だと思って見ていたその顔は、実は横顔なんじゃないだろうか。(野辺さんは横顔を描けないと言うけれど、それはもう横顔を描いてしまってるから)私たちが正面の顔だと思って見つめ返した時、キャラクターはもう違う方向を見ている様に、野辺さん自身も自分を見つめ返した時に自分が横を向いてしまっているんじゃないか。なぜなら野辺さんが見ようとしているところは「中間地点」なのだから。そう言えば「Parallax」は「視差」と言う意味だった。「視差」って言うのはまさしく中間地点で生まれるものですよね。
小嶋貴之
ミュージックビデオ監督・映画監督「シガレット」「からまる蛇」
一見ナンセンス文学を思わせる不思議なユーモアに溢れた世界。謎のキャラクターの淡々とした歩調と、子守唄のような美しい楽曲。その全ての調和にどこまでも陶酔・没入し、"視差"を想う贅沢な時間。果たして得た"気づき"は、正しい解釈なのだろうか。"視差"がある限り、答え合わせは叶わない。する必要もない。
庭月野議啓
映画監督「仁光の受難」「イチゴジャム」
"きっとあのマントは着心地が良くないに違いない。"そう思いたい自分がいる。観終えたいま、だれかと言葉を交わし"視差"を思い知りたくて仕方がない。野辺監督の世界にまんまと引き込まれてしまったー。
春本雄二郎
映画監督「かぞくへ」「由宇子の天秤」
まだ見えないもの、まだ聞こえないものに色や形や音を与えると、詩になる。野辺さんの作品は「動く詩」を使って、まだ知らない世界を見せてくれる。それは未知の発見くらい、胸が高鳴る。人間が作った高度で空虚な社会だけが世界であるはずがない。あの白い生き物を見てたら、そう感じた。
まつむらしんご
映画監督「ロマンス・ロード」「恋とさよならとハワイ「あつい胸騒ぎ」
野辺さんの作品はアニメーションが原理的にはらむ1コマ1コマの背景と歴史を思い出させてくれる。『Parallax』とは作家とスタッフの生の痕跡であり、決して交わることがないまなざしの交点である。
宮崎大祐
映画監督「大和(カリフォルニア)」「TOURISM」「VIDEOPHOBIA」
行列の反復が、検査やワクチンを想起させるのだが、考えてみればコロナ以前から、私も集団行動になじめず、自分だけ疎外され、決して人々から拍手されないどころか、奈落に落ちるという悪夢にうなされることがよくあったし今もそうなので、何度も頷きながら観ました。全体を通して感じるのは、SNSなど情報過多の日常に押しつぶされそうになっている私たちの前に、最もプリミティブな、生きることの根本の根元の部分だけが提示されていて、これは何だろう、これはコンソレーションだな、と思った。親子の行脚という設定や、子供からの画角や野辺さんが歌う音楽など全てがそのことに収斂されていて美しい。
山内ケンジ
劇作家・映画監督・「城山羊の会」主宰
敬称略・50音順

Lyric

Parallax - Arpeggio

もし逃げ去ることが出来れば身を隠して
あなたの視点の言葉を再生する 幾度となく
もし逃げ去ることが出来れば身を隠して 
確信を持てず 記憶をリライトする 幾度となく

もしあなたが消え去ることが出来たら すぐに
もう片方の目であなたを感じる もう一度
もしあなたが消え去ることが出来たら すぐに
もう片方の目であなたの言葉を探し出す もう一度

そして彼らは信じている 
あなたが別の世界のように感じていると 壊れるまで
そして彼らは許す 
私が静かに目を閉じることを 身を隠して
その日の終わりを説明出来るだろうか

太陽の中へ 太陽の中へ

もし逃げ去ることが出来れば身を隠して
あなたの視点の言葉を再生する 幾度となく
すべてが与えられたものへと収束する いつでも
そこに あなたは再試行する方法を見つけなければならない

そして彼らは信じている
あなたが別の世界のように感じていると 壊れるまで
そして彼らは許す
私が静かに目を閉じることを 身を隠して
その日の終わりを説明出来るだろうか
ラウンドアバウトに乗る方法を知って 川に飛び込んで
あなたがシラフでいたいなら

聞こえる なんと言うべきだろうか
道半ば 半月 それはやがて点になる
あなたにはこのソングブックを読み取ることは出来ない
道半ば 半月 それはやがて点になる

スローな感覚
スカイラインが崩れ落ちるようだ
私たちは溶け出して
あなたの視点の影にも決して驚かない
私は知ることもない結末について話している 決して知ることのない


落ち着いて
待たなければならない 待たなければならない 水が滴り落ちるのを

Staff

野辺ハヤト プロフィール写真
Director and Music : 野辺ハヤト ( Hayato NOVE )
アートディレクターとしてデザイン事務所勤務の後フリーランス。2007年よりアニメーション作品等を制作し始める。音楽も作品の重要な要素のひとつとし、アニメーション制作と同時に制作を進め、作曲・演奏・録音まで自身で手がける。アニメーションと音楽を一つの作品として、見る人に届けたい。
Editor : 野辺智子 ( Tomoko NOVE )
武蔵野美術大学卒。ウェブデザイナーとしてフリーランス。2007年よりアニメーションの編集を始める。
Mixing Engineer : 照井淳政 ( Atsumasa TERUI )
Mastering Engineer : 中村宗一郎 ( Soichiro NAKAMURA / PEACE MUSIC )
Audio Post Production & Mastering Engineer : 浦本和宏 ( Kazuhiro URAMOTO / COSAELL Creative Studio )